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日記なんだと思う。

■用語解説■
たねなし【たねなし】
 原語は、実の中に種が存在しないゴマである「種無しゴマ」。つまり、「中身がない」とか「意味が無い」こと。(☆zumi)

 しょうたと☆zumi(+α)のユニット名?
 実際はまだ中身がなく、空である。(しょうた)

類義語:
 「種無し葡萄」「種無し蜜柑」
 (ただし、これらはゴマと違い種子を可食部としないため有用性をもつ。)
 (ちなみにしょうたは蜜柑と葡萄なら葡萄派……理由「皮剥くの面倒だから」……葡萄の農薬は気にしないのか?)

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ナンバーワンとオンリーワン
ナンバーワンにならなくてもいい
もともと特別なオンリーワン

ちょっと前に大ヒットした曲の一部分です。
大抵のひとが一度は耳にした事があると思います。

この歌の歌詞につて皆さんは同感じられたでしょう?

良い詩って思われたでしょうか?
大ヒットした曲ですしやはり良いと思われた方が多いことでしょう。

結局、何かを競いあい、勝ち抜いて1番にならなくても、
お互いの個性を理解しあえばそれぞれ誰もが輝いて見えるってことですよね?

しかし、本当にそれがすばらしいことなんでしょうか?
私はこういう考え方をしている連中に対して非常に嫌悪感を感じる。

「ナンバーワンにならなくてもいい」
それは、誰かと競い合い自分の能力を伸ばす努力を惜しんでもいいって言ってるに等しいのではないだろうか?
「もともと特別なオンリーワン」
だれとも違う自分。
他人とは違う価値観を持っていること、それだけでいった何ができる?

個性って競いあう能力の中に個性が見えるからすばらしいんじゃないだろうか?

トリノ五輪依頼ブームの続くフィギュアスケート。
荒川選手が良い例ではないだろうか。
各国の選手が高度な技術で金メダル(ナンバーワン)を狙うなか、荒川選手は魅せる演技・自分らしさ(オンリーワン)にこだわった、的な報道がよくされた。

つまるところ、オンリーワン精神がナンバーワン精神に勝ったわけだ。

しかし、本当にオンリーワン精神の結果だろうか?
荒川選手が自分の能力を伸ばす努力もせず、自分らしさの表現ばかりを考えていただろうか?
いや、あらゆる大会でナンバーワンになるために果てしない苦労をされたはずだ。

ナンバーワンになる演技をすること、そしてオンリーワンの演技をすること、二つの精神が折り重なった荒川選手の演技だからこそ世界が認めるすばらしい演技ができたのではないだろうか?

「ナンバーワンにならなくてもいい」
なんて思ってる連中が持ち合わせている、
「もともと特別なオンリーワン」
なんて他者からすれば評価にも値しなければ、それに目を向けるだけの価値すらもない。
私はそう思うのだが、どうだろう?
| ネガティブ | 00:23 | comments(2) | trackbacks(0) |
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なんていうんだろ。
YOU「ナンバーワン」なんて諦めちゃいなよ、ていうニュアンスではなく、「オンリーワン」の部分をもっと大事にしようよってことではないかなと。

今はほんと皆個性なくて横並び(と決め付けるのもあれだけど)。
目指すところは上ばかり。「ナンバーワン」を目指すことで、もしそういう大事な部分まで捨てて(しまう/しまわなければいけない)のであれば、「ナンバーワン」なんてものに価値はないんじゃないか、もっと大事にすべきものがあるんじゃないか?と。

「ナンバーワン」を目指す余り、「ナンバーワン」しか見えてない人に対するフレーズに感じました。
単にそのフレーズを見るだけだとね。

もちろん受ける印象というのは人それぞれだから、しょうたさんとはまた違うと思う。

そして、競争があるからこそ自分を高めていけるというのも同じくそう思う。
小学校のかけっこで順位をなくそうっていう話もあったよね。

最後になるけど、これは「自分がそう思う」のではなく、「他者から伝えられる」という部分が重要であって、自分で思っててそう言い訳するような人はもちろん除外ですよ。
フレーズが悪いのではなく、それを言い訳にすることこそが悪いことだと、そう思いました。
| furu | 2006/04/06 10:03 AM |
 日本には切磋琢磨という言葉があるけど、あれは仲間同士で認め合い、励まし合い、競い合い、互いに向上することを指すんだよね。
 そういう意味での競争ってのはありだと思うし、重要なことだと思う。

 今日にいたるまでの人が作り上げた文化っていうのも競争から生まれたものも多いことは違いないわけだし。(無論、競争だけで作られたわけでもない)

 競争意識って聞くと個人的に思いつくのは「学校にありきたりのテストの点数」。
 昔はテストが返ってくるたびに休み時間にみんなで集まったもんです。
 ああいうのは楽しかったし、学生生活の醍醐味みたいな感じもしますが、学習という面から見るとあまり感心はできないんじゃないかと思います。
 そういう意味ではいい競争とあんましよろしくない競争があるんじゃないでしょうか?

 そりゃ、その人の勉強方法によっては知識の作られ方は変化するのし、記憶の残りやすさ、消えやすさってのは個人差にありそうですけど。
 そういう頭に残るっていう部分じゃなくて……。

 なんのためにやるのか、そういう意識の問題も重要なんじゃないかな?
 得られてものをこれからどうやって活かしていくのか活かそうとするのか。(そういう意味では学校の勉強ってゴールが見えにくい、悔しいことですが)
 そして、自分と比べる相手との関係をどう考えるのか。

 あと競争した後に「勝った」「負けた」だけで終わらないところとかも重要なのかも。
 競争して負けても楽しいことや、気持ちいい時ってすごくいいなって思います。

 自分個人の見解としては競争っていうのは技術的な向上……物質的な面でには大きく貢献するとは思うが、
競争意識が強いだけでは結果的に生産的なのか……と言われるとやや疑問が生じるときがある。
 もちろん、世の中で頑張っているクリエイターの方々はそこらへん上手く消化しているんだろうなぁと思ってますが。

 あんまし長いとそれはそれで問題なので、そろそろ区切りというかまとめちゃうと。

 今の自分っていうものに対して自分自身が納得しちゃっているなら、他人が口を出してもなかなか変化はないよなぁって思います。
 他人の期待に応えるのも、自分自身を向上させようと頑張るのも決めて、行動するのはその人自身の問題だからだと思うから。
 でも、周りを見ないで自分しか見ないのは「井の中の蛙」状態なのかも。
 それはそれでちょっと寂しいオンリーワンなのかも?
 自分でオンリーワンであり続けようという努力?や向上心は大事は持ちつづけたい、持ち続けて欲しいと思います。

 自分の場合、他人がもっと頑張って欲しいという期待を寄せてくれるなら、それに応えるための努力を出来る自分でありたいとは思います。
 ……全ての期待に応えれるとは(今は)思ってないよーですけど、ね。


 個性の話とかも自分なりにまとめよーと思ってたけど、今日はこのへんで。
 ってか、長っ!!!
| しょうた | 2006/04/06 8:43 PM |









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